*Selamat datang Pandan Bali Ayu〜バリ人と結婚した私 |
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■お金を払う 日本に帰るまで、本当に時間がありませんでした。銀行に行ってお金を下ろすと「何に使うの?」 と銀行員が聞いてきます。 大きなお世話ですよ。日本だったら絶対にそんなことありえないですね。そして主人のワヤンは「土地を買 うんだ〜」 なんて答えてしまいます。「どこに?いくら?」銀行員もワヤンもやっぱりバリ人です。 日本人の感覚では理解できません。 そして現金一括払い。大量のRP札束をリュックに入れて、それを前に抱え、ワヤンとバイクにまたがり、お金を 払いに行きました。 こんなんでいいのかい?って感じでしたよ。 今、思うと結構怖いですね。 ■数年間野ざらし状態 土地を買ったものの、家を建てるお金を貯めるために、ワヤンと私はバリから日本へ出稼ぎに。 お金は思うようには貯まりません。 お金は貯まらないのに、バリの建築資材の値段はどんどん騰がります。 私たちがバリを出る時に聞いていた家を建てる値段とは大違い。 2年前に、そのかわいそうな野ざらし状態の我が土地を見に行ったら、知らないジャワ人が勝手に掘っ立て小屋 を建てて、生活していたし、隣人は私たちの敷地に勝手にガレージを作って、車を止めていました。 ワヤンはtidak apa apa状態。私はあきれていました。 でもこれがバリで生きるって事なんですよね。こんな事にいちいち目くじらを立ててはいけない。 わかってはいるけれど〜 |
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■突然、家を建てる話が持ち上がる! 2年前に帰国した時に、建築資材の値段が騰がっているから、早く家を建てた方がいいと、アドバイスされまし た。その時は一週間程のバリ滞在だったで時間がありません。 それまで何一つ、家を建てるのに、いい話を聞いたことのなかった私。どうしたらいいの〜?と焦りました。 ■不安と焦り 日本にいて、どうやってバリできちんとした家が建てられるのだろう?もしバリにいて、毎日見に行っても、職人た ちはいい加減な仕事しかしない。(焦っているのは私だけ) 焦りや不安だらけの私にワヤンの叔父夫婦が、親戚に大学の建築学科出身で、個人で建築設計事務所を 持っている人がいるからとアドバイスしてくれました。 ニョマンさんというその建築士は外国人の家や別荘を多く手掛けています。叔父曰く、「外国人相手の仕事をして いるからいい加減ではない。」「個人で事務所を持ち、職人をニョマンさんが直接雇っているから、いい加減な家 は建てない」「費用は親戚価格だから安心せよ」 その上、叔父夫婦が代行で家の建築を監視するから、心配無用と言われました。 でも私は信用できません。友人からは「タイルのサイズが違っていても貼る」「壁は垂直ではない」「屋根なんて いい加減そのもの。雨漏りするのも当たり前!」挙げたらきりがない。造っては壊し、造っては壊しの繰り返し。 お金ばかり出て行く〜と聞かされていました。 ■勝手に着工! ニョマンさんには、日本にいながらできる限り希望は伝えました。人に言わせると「人生一大事の大きな買い物 なのに、人任せなんて考えられない」でも私たちがバリに長期帰ることは出来ません。そして私の不安をよそに 2004年10月に着工し始めたのです。 ワヤンはtidak apa apa状態。私は不安な毎日。そして送られてきた建築中の我が家の写真。私の不安は? 写真を見るのが怖い!叔父の話と写真だけしか頼るものはありません。 ところがちょっと拍子抜け。なんか問題なさそうなんです。もう始まってしまったものの、信用して任せるしかない のです。日本人の知人からは「建築士を通すとコストがかかる」「親戚とかいっても絶対に日本人価格に設定され ているのよ」と言われました。 でもいい加減な職人に頼んで、造っては壊し、造っては壊し、結局はお金がかかり、精神的にもイライラするのと どちらがいいのでしょうか? これは、各人考え方の違いなのでどちらがいいとは言えませんが、私はニョマンさんに頼んでよかったと思ってい ます。 でも実際に見ていないので、不安はまだまだあります。そんな中、バリの我が家はどんどん出来上がって いました。 ■我が家と初対面 それ以後、時々バリに電話して「大丈夫?」「問題はある?」と聞いていましたが、いつも「大丈夫、心配なし!」 の答えしか 返って来ませんでした。ますます、不安になっている私でした。ワヤンは超のんき〜。いいです よね。バリ人って! 2005年7月に我が家を見るためにバリに帰りました。8割完成ということでしたが……。 空港に夕方着くと、家族がみんな迎えに来ていました。空港からそのまま我が家へ直行。私は期待より 不安大。 どきどきしながら、初対面の瞬間は刻々とせまってきます。遠くに我が家と思われる家が見えてきました。 私の第一声:「え〜!!なんでこんな大きな家なの?」(自分で言うのものなんですが) 初対面は驚きと感動と、でもまだ不安が〜。見た目には思ったより、きちんと出来上がっていました。 翌日、再度細かいところをチェックするために、家を見に行きましたが、特にひどい問題はなく、本当に 私は、ほっと一安心。といっても家は住まないとわからないですよね。 ■その後〜現在に至る(2005年末) 日本にいながら、バリで家を建てるのは大変というより、不安だらけでした。叔父夫婦がきちんとしていてくれた こと、ニョマンさんも、きちんとした仕事をしてくれたことで、精神的ないらいらもなく、なんとか無事に家を建て ることが出来ました。 でも私は、日本では、「叔父夫婦が手数料もらっているんじゃない?」「日本人の奥さんだからきっと日本人価格 だよ」 「建築士を通して、家を造るなんて、返って高くつくんじゃないの?」と言われました。 結構悲しかったです。 叔父たちもバリで「手数料もらってもうけてる」と言われて、やはり悲しい思いをしていました。 2005年末には、ガレージと儀式をする東屋みたいなものも追加して、ほぼ完成に至りました。 でも私たちはまだ日本で頑張らなくてはいけません。かわいそうな我が家は弟夫婦とワヤンの父に管理してもら っています。 先日も、外に置いてあった井戸水を汲むポンプが盗まれたそうです。 新しい家に一日でも早く住むために、とにかく私たちは日本で頑張るのみです。でも早く帰りたい〜。 待っていてね!バリの我が家〜 ■2006年7月、バリに一時帰る 1年経ってからまたバリに帰る事になりました。一番の心配事は我が家です。どうなっているんだろう? 後から注文したガレージとバレブンゴ(儀式を行う東屋)もどんな風に出来上がっているんだろう? 信頼していたニョマンさんなので、出来上がりはきちんとしていました。昨年新築で見た我が家は、中は綺麗 ですが やはり雨風にさらされる外側はドアの色が薄くなっていたり、内寺や屋根にこけが生えていたり 仕方がない事です。 ちょうどすべての工程が終了して完成という事だったので、ニョマンさんに会うことが出来ました。ニョマンさん 曰く 「毎日窓を開けて風を通して、掃除をしたとしても、家は人間の呼吸を感じられないとすぐにだめになって しまうよ。だから一日も早くバリに帰ってきて、この家に住んであげなさい」 私たちも一刻も早く、自分たちで頑張って建てたバリの我が家に住みたいのです。確かに家の借金はない のですが このまま貯金がなくてはとてもバリには帰れません。 バリの家族は「バリ人は借金はするけれど、貯金はしないよ〜」なんていいますが、私にはとても不安です。 ニョマンさんは、希望すれば人に貸す事も出来るよと言ってくれましたが、やはり主人と苦労して貯めた お金で建てた家はどうしても自分たちが一番に住みたいと思っています。 なんとか問題もなく、無事に鍵も渡されて、今ほっとしている気持ちと明日にでもバリに帰りたい気持ちと複雑 です。 宝くじ!!当たらないかな〜 あはは〜無理って!!でもパパワヤンが以前、専門学校に 通った時のお金は 確かお父さんが闘鶏で、勝って儲けたお金だったような気がします。 ひぇ〜私にはそんな綱渡りのような生活はできませ〜ん! ニョマンさんは、引張りだこ状態でとても忙しく仕事をしています。サヌールの集会場やサヌールシンドゥ ビーチマーケット等たくさん建て直しています。外国人からのオーダーも多いようです。 バリに住む時にはきっと家も少し痛んでいると思うから、またその時はぜひ声をかけてねと言われています。 私たちが家をお願いした直後に物価がみんな騰がって、今では当時(といっても2年前)の金額ではとても 同じような家は建てられなく、とてもラッキー!と言われました。1.5倍以上になっているそうです。 家の周りもまだ田んぼだらけで、2階の窓からはウブドの田園風景のような素晴らしい眺めでした。 きっといつか周りには家が建ってしまうのでしょうか?でも土地も3倍ぐらい(1ARE:150万円ぐらい?) に跳ね上がっているので、日本のように家だらけにはならないとパパワヤンは言っていました。 とにかく1日でも早くバリに帰りたいです。待っていてね〜 ■2007年の我が家〜泥棒にやられた!! 昨年の7月にバリに帰った以来、本帰国まではバリに帰る予定はありません。私の友人がちょうど、昨年末から 年始にかけて、バリに遊びに行きました。それぞれの友だちが我が家を見てきてくれました。 その写真を見て、大ショック!! 実は、友だちが渡バリするので、その手配等で何度かバリに電話をしていました。その時、「どうも泥棒が入った らしいよ〜、何も取るの物がないので、ドアのぶを持って行った!! tidak apa pa!!」 そうなんです。泥棒が侵入したのでした。とりあえず先発隊の友だちにその写真を頼みました。そしてどんどん 嫌な事が発覚。 私が7月に帰った時に、トイレや水周りは使わなくても汚くなるから、きちんと掃除してね!と言っておいたにも かかわらず、トイレは半年前よりもっと汚くなっていました。ああ〜プラス泥棒です。 その後第二隊の友だちがバリへ。またもや大ショック事件発覚!!。どうも泥棒はまたやってきたようです。 仕方ありませんよね。だって誰も住んでいないのですから。泥棒は夜になると、誰も寝泊りしていないのを、 絶対に 知っているはずです。そして今度はバスタブの水、お湯の蛇口とシャワーをもぎ取っていきました。 それから、天井の 板を1枚剥がしていきました。ああ〜 汚いトイレ、この泥跡は泥棒さんのもの?らしい 持って行かれたドアノブ 第三隊の友だちには、とりあえずトイレやお風呂の洗剤を託しました。どうなることやら〜 こんな事で、何度もバリに電話しても、なかなか事がうまくすすみません。結局は親戚の人が1月下旬から、 住んで くれる事になったのですが、泥棒に入られるより、住んでもらって多少汚くされるのは仕方がないと 思っています。 家を建てる過程では、特別問題はありませんでした。でも空っぽの家をそのままバリで置いておくということは、 こんな事になってしまうのだと、改めて勉強させられました。 泥棒は蛇口やら、ドアノブやら、シャワーを売って、生活費にするのだと思います。以前にはポンプが盗まれ たしね。 今回の事件で、バリに帰るのを早めようかと思いましたが、それも出来ず、親戚の人にしっかり管理をお願い する 事としましたが、でもやっぱり心配です。 私たちが土地を買った時は、まだ周辺は田んぼばかりでした。でも最近、我が家の真ん前に建物が造られて いる そうです。どうも教会?らしいのですが、もし教会なら高い建物だな〜 水とお湯の蛇口がない〜 シャワーもありませ〜ん うちの門の前には、どうも教会が建てられるようです 家の前の道です。数年前は田んぼだったのに〜 ■2007/5月の我が家 5月に友たちが、スパイ1号、スパイ2号としてバリに行きました。私のスパイというのは、きちんと我が家が 管理されているか、チェックする任務をお願いしている人たちなのです。(笑) 幸い、そのスパイ様たちが我が家を見に行ってくれたので、また写真を撮ってきてもらいました。 バリの家族は電話で、 「大丈夫、ちゃんと綺麗にしているよ」と言っていますが、やはり心配です。 スパイ1号、2号が帰国後、恐る恐る電話をしました。「家は、とても綺麗だったよ!!!本当に綺麗に管理 されているから、大丈夫だよ!!」とのことでした。ワヤンと私は、一先ず、ほっと〜しました。そして写真。 スパイ様(笑)が、細かい所まで、色々写真を撮ってきてくれたのですが、なかなかきちんと管理している様子 でした。 今年初めに、建築が始まった家の前の教会(事務所)は、3階建てになっていました。仕方ないか〜 とりあえず安心しました。さて、あと1年だ!とにかく早く我が家に住みたいものです。 1つだけ、いただけなかったのが、ベッドカバー。かなり趣味が悪いと思われます。(笑)バリ人って変な趣味 なんだよね。 バリに住む事になったら、そっと取り替えちゃおう〜 木々が大きく育っています。 早くここで、のんびりしたいな〜 内寺です。毎日お供えものをします。 バリ人のキッチンです。 これです!趣味悪い〜 我が家の真ん前に建つ、教会事務所 その他の家の写真を見る (C)2006 Pandan Bali Ayu All right reserved |